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真剣渡り復活で名門対決制す

広島の名門・広島商はその昔、選手の精神力をつけるために、日本刀の刃の上
を歩く真剣渡りという非常に危険な練習を行っていた。こうして鍛えた
精神力とスモールベースボールを駆使した緻密な野球で過去夏の甲子園で6度
の優勝を誇る。この真剣渡りは1983年(昭和58年)まで行われていた
そうである。現役球児が皆平成生まれのいまとなってはこの伝統は都市伝説と
化してしまった感がある。
だが、この真剣渡りが「どうしても勝ちたい試合」で復活したことがあった。
1986年(昭和61年)のこと。この年の夏の広島県大会は1回戦でいき
なり広島商VS広陵の名門対決となった。両校は1916年(大正5年)の
初対決から夏の対戦はこのときまで実に23回を数え、対戦成績はこの当時
広島商の11勝12敗とほぼ互角の勝負。そして広島商にとって五分の星を
かけたこの24回目の対決が初戦での激突となったのである。この対決に
どうしても勝ちたい広島商は3年ぶりに真剣渡りを復活させることにした。
対決の6日前、練習後に18人の選手と川本監督らが体育館に集まり、まずは
腹式呼吸を1時間、そして刃を上に向けて置かれた二本の真剣に、ひとりずつ
裸足で3秒間乗ったというもの。実際には刃の上を歩くまではしなかったよう
だが、それでも凄まじい意気込みである。
名門同士の54年ぶりの初戦対決は広島市民球場にて行われた。好カード
に加え、日曜日ということもり、当日券は売り切れ、予備の内野席券、学生券
まで完売しスタンドには一万人の観客が集まる大盛況となった。
試合は初回、広島商が四球と安打、二盗塁で二死二三塁とし、寺畠がライト前
ヒットを放ち2点を先制。追う広陵もすぐさま2点を返し同点に追いつくが、
なかなか追加点を奪うことができない。3回に勝ち越した広島商は7回に荒谷
のソロホームランで大きな追加点。8回にも1点を加え広島商が粘る広陵を振り
切った。広島商の先発・岡本は毎回ランナーを許す苦しいマウンドながらも
バックの堅い守りで要所を締めた。勝利を呼び込んだのは「真剣渡りで培った
気迫」と川本監督。一方敗れた広陵は11安打7四死球と押し気味に試合を
進め大量点のチャンスもあったが、16残塁が痛かった。
広陵
002 000 000 =2
201 000 11X =5
広島商
【陵】福山、久山―高田
【商】岡本―本広
[本] 荒谷(商)
[二] 宮本2、本広(商)
真剣渡りで「キモがすわり、宿敵に勝てた」と宮本主将。試合終了の挨拶後
は両校ナインが握手し健闘をたたえあった。
なお、阪神のアニキ金本はこの試合5番レフトでスタメン出場3打数
1安打の記録を残している。
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秋の大会名勝負3

夏の甲子園では日本文理が9回2死から怒涛の攻撃であわや逆転というところ
まで追い上げた。だが実際大量リードを奪われ最終回2死まで追い込まれて
から大逆転したというケースは意外に多い。
1987年(昭和62年)秋の関東大会1回戦では9回二死走者なしから
なんと8点差がひっくり返るという大逆転ゲームがあった。
宇都宮工VS大宮東の試合だ。試合は大宮東が序盤から宇都宮工の投手陣を
打ち込む。主将で3番の注目スラッガー山口のサイクルヒットもあって楽勝
ペース。大宮東はコールド勝ち寸前までいくが、宇都宮工も粘ってコールド
負けはまぬがれ試合は9回へ。9回裏7-15とリードされた宇都宮工は2死まで
追い詰められるが、ここから猛反撃に出た。大宮東のエース・永島から7連続
長短打を奪うなどして一挙8点。土壇場で8点差を追いつき延長へ。勢いづく
宇都宮工は代わった大宮東の投手・伴もとらえサヨナラ勝ち。信じられない
ような大逆転勝利に宇都宮工ナインはただひたすら涙にくれた。
「苦しい練習に耐えた成果がこの試合で出た」と猪瀬成男監督も感動。

大宮東
1304101140=15
1010004181=16
宇都宮工
<延長10回>
【大】 永島、伴―茂
【宇】 篠原、渡辺、堀内、石川―矢島

この試合でサイクルヒットを達成した大宮東の山口幸司選手。
内訳は
1打席目-中前安打
2打席目-中越え二塁打
3打席目-左中間満塁本塁打
4打席目-右飛
5打席目-内野安打
6打席目-左越え三塁打
の6打数5安打の大活躍だった。

なお猪瀬成男監督は現役球児時代、日本文理の大井道夫監督と宇都宮工で
バッテリーを組み、夏の甲子園で準優勝を果たした人物だ。
毎日jp記事より

連敗ストッパーは元ソフト選手

1987年(昭和62年)東京六大学野球秋季リーグ戦(神宮)の9月12日
の開幕戦で、これまで30連敗を続けていた東大が、この春の優勝校・慶大を
2-1で破り連敗をとめた。この試合は東大が初回にいきなり先制した。4番の
岩本(学芸大付・4年)が慶大の先発・志村の初球を右翼席に運ぶ2ランで
リード。この2点のリードを先発の大沢(愛光・4年)が慶大の打線を1失点
に抑え守りきった。
東大
200 000 000 =2
000 010 000 =1
慶大
【東】大沢
【慶】志村、高田
9回一死二塁のピンチを併殺で仕留め勝利をおさめた東大は選手たちがマウンド
に駆け寄り抱き合うほどの喜びようで、ベンチに引き上げたあともなかなか
興奮は冷めやらなかった。東大の連敗が止まったということは、ほかの5校
の優勝に匹敵するほどの大きな意味をもつものだった。東大の河野敏章監督
はこの勝利に「ホッとしました」。初回のリードを守りきっての勝利だけに
試合は長く感じたようだ。これまでの30連敗のなかには1点差負けが7回
もあるほどだから、圧倒的な力の差があったようには思えないが、とにかく
勝利が遠かった。この春の慶大戦では東大野球部史上初の連続本塁打が飛び
出すなどしたが、結果的には大敗。なかなか勝利に結びつかなかった。
この試合でも4失策を喫したが、それでも慶大打線を1点に抑えた大沢投手
の好投が光った。この大沢投手、硬式野球を始めたのは東大に入ってからと
いう異色の選手だ。中学、高校時代はソフトボールの遊撃手。学校に野球部
がなかったのでソフトボールをやっていたそうだが、東大に入ってから
硬式野球部に入ることを決意。肩が強いことを理由に投手に抜擢された
という。これまでの戦績は0勝9敗。それだけにこの勝利は特別なもの
だったようだ。大沢投手は勢いにのて上位を狙うと宣言した。

秋の大会名勝負1

選抜出場校を決めるのに重要な意味を持つ秋季大会。1984年(昭和59年)
近畿大会の決勝は東洋大姫路とPL学園の対決となった。2年連続の近畿大会
優勝を狙うPL学園は大阪予選で圧倒的な力を見せ、順当に勝ち上がり近畿大会
出場。近畿大会でも2度のコールド勝ちをおさめるなどして2年連続3回目の
決勝進出を決めた。一方の東洋大姫路は下手投げの豊田投手の好投と堅守で
9年ぶり2回目の決勝進出。試合は前日の準決勝でエースの桑田投手を温存
できたPL学園が優位と見られた。決勝は和歌山市の県営紀三井寺球場で
行われた。この試合は地元・和歌山のチームが出場していないのにかかわらず
他県からも熱心なファンがつめかけ約8千人もの観客の中で行われた。
試合は1点を争う好ゲームとなり、虎の子の1点を守りきった東洋大姫路が
優勝した。敗れたPL学園のほうが押し気味に試合を進めていたが、再三
の好機も相手の堅守に阻まれた。敗れたPL学園だったが、意外にさばさば
した様子で、最後の打者となった桑田も「相手には気迫がありました」と淡々
と語った。PL学園の中村監督は「下手投げ投手は経験がない」というよう
に、PL打線は選抜までに変則派投手攻略の課題を残した。

東洋大姫路
000 100 000 =1
000 000 000 =0
PL学園
【東】豊田―阿山
【P】桑田―杉本
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