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秋の大会名勝負2

1993年(平成5年)、選抜選考の重要書類となる秋の東北大会準決勝では
東北と秋田がそれぞれ勝って決勝進出し選抜甲子園出場が有力となった。
準決勝の東北―秋田経法大付の試合では東北の嶋(当時の新聞記事では”島”)
と秋田経法大付の小野というともに140キロ代後半のストレートを持つプロ
注目左腕どうしの対決となった。東北球界のみならず全国でも屈指の両左腕
対決。試合は延長16回、4時間15分の壮絶な両投手の投げあいの末、
東北が2死からヒットとエラーもからめてサヨナラ勝ちし1-0、熱戦に終止符
を打った。秋田経法大付の小野は244球を力投するも惜しくも敗れた。
秋田経法大付・小野仁、東北・嶋重宣、両左腕のボールを放るたびに観衆は
驚愕したという。延長16回裏で決着だから、31イニング無失点ということ
になる。これだけでもすごいがもっとすごいのは両投手が奪った三振はなんと
45にものぼる。嶋が16イニングで奪三振19。小野が15イニング2/3で
奪三振なんと26。敗れた小野投手だったが、「気持ちだけで投げた、でも
ここまでやれて満足」という表情からは時折笑顔も見せた。小野投手はこの年
春夏甲子園に2年生エースとして出場したが、いずれも自らの乱調により初戦
敗退。この試合の敗戦で選抜切符は逃したが、夏の甲子園からまだ2ヶ月、
格段の成長を見せた。「強力なライバル」と認める一方の嶋も軸足のスパイク
が2度も擦り切れるなど勝利への執念を見せた。
この試合は今でも東北大会の語り草とされる伝説の試合だ。

その後両投手、当然のようにプロ入り。両投手プロの投手としては思うように
活躍することはできなかった。嶋選手はのち打者として才能が開花。一時は
調子を落としたが、最近は復調気味のようだ。
一方の小野投手といえば、日本プロ野球では活躍をすることなく球界を
去った。
その後は・・yahoo知恵袋より
もし本人がこのブログを見ていたらコメントいただければと思っている。

追伸・・本人(情報通?)と思われる方からメールをいただきました。
なんでも小野氏は現在整体師目指して勉強中だそうです。
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無傷の8連勝で優勝

1996年(平成8年)東京六大学野球秋季リーグ戦(神宮)で明大が8連勝
し2季ぶり29回目となる優勝を決めた。優勝を決めた10月13日の早大戦、
小笠原(市船橋・2年)、川上(徳島商・3年)の二本柱で2安打完封リレー。
この試合では小笠原が8回を低目への抜群のコントロールで無失点投球。
9回から登板した川上は三者三振に抑えるなど左右のエースが大活躍。
早大
000 000 000 =0
010 000 01X =2
明大
【早】本家●、藤井、三沢
【明】小笠原○、川上
明大は開幕から無傷の8連勝で失点6、失策2という全く隙のない完璧な戦い
ぶり。投手二本柱をはじめ、橿渕、筒井、鷲北、水谷、辻など明大には
高校生のころから注目されていた素質のある選手が多い。だが昨秋に優勝した
ことで気が緩み、春になるころには辛い練習を怠るクセがついてしまったと
いう。その結果、春は4位に沈んだ。その後橿渕主将を中心に4年生が意識
改革してチームを牽引、「なかよし軍団」を脱皮し集中して練習した結果、
秋の躍進につながった。
8連勝の間、投手陣は川上が3勝(防御率0.50)、小笠原4勝(防御率0.93)
という抜群の安定感で、さらにリードする捕手の鷲北も下位ながら高打率を
マーク、橿渕、筒井の中軸もよく打ち投打が見事にかみ合った。
全勝優勝を目指し残りの試合、立ちはだかる敵は目下82連勝中の東大のみ。
過去10戦全勝は1928年秋の慶大、58春の立大、82春の法大のたった3校
しかない。10戦全勝を目指し「負けるはずがない」とナインも自信満々だ。

スラッガーに7球団競合

1995年(平成7年)のプロ野球ドラフト会議で最も注目されたのは、
PL学園のスラッガー・福留孝介選手。福留は層の厚いPL学園にして1年時
から主軸打者として活躍(内野守備にはやや難があったが)。3年夏の大阪府
大会では7本塁打を記録するなど超高校級スラッガーとして注目された。
ドラフトではまず6球団が彼を1位指名することを公表。意中の球団である
巨人、中日のほかヤクルト、ロッテ、日本ハム、近鉄も1位指名するのが確実。
さらに長谷川昌幸投手(市銚子)を1位指名するものと思われたオリックスも
参戦し、7球団の競合が確実となった。7球団の競合は1989年(平成元年)
ドラフトの野茂英雄投手(近鉄)、1990年(平成2年)小池秀郎投手
(ロッテ拒否)の8球団に次ぐ。
福留は会議前日、「期待も不安もない」とし、(高い評価を受けたのだから)
意中の球団があるとしながらも、それ以外の球団でも話は聞く、と心境は揺れ
動いている。

当日、予想通り福留は7球団から1位入札、抽選となった。注目の抽選の結果、
近鉄が交渉権を獲得した。佐々木恭介監督は「ヨッシャー」の掛け声で喜び
をあらわしたが、福留の表情は冴えない。結局福留は近鉄との4度の交渉を
拒否して日本生命入りした。アトランタ五輪では銀メダルを獲得、翌97年
には日本生命の都市対抗優勝にも貢献、98年のドラフトで中日を逆指名して
1位で入団した。その後の活躍ぶりは説明するまでもない。
近鉄入り拒否当時はまだ社会人野球は金属バットの時代だったから、スラッガー
はできれば社会人野球を経由せずにプロ入りしたほうが良いという声もあった
が、彼には関係なかった。
松井秀喜の三冠王を阻む首位打者を獲得した2002年。外野へのコンバート、
佐々木恭介コーチのもと打撃が開花したというエピソードもある。

初出場校の躍進なるか

今年の夏の甲子園の初出場校は13校。東から八千代東、横浜隼人、長野日大、
南砺福野、日本航空石川、常葉橘、滋賀学園、鳥取城北、立正大淞南、華陵、
寒川、徳島北、伊万里農林。その内、長野日大と華陵を除く11校が春夏通じて
初の甲子園という大会だ。これだけ初出場校が揃った大会は珍しいのでは
ないか、と思って過去これ以上初出場校が多かった大会はなかったか調べて
みた。調べてみると、初出場16校だった大会もあった。
1995年(平成7年)第77回大会だ。このときの初出場16校は旭川実、
北海道工、盛岡大付、越谷西、日大藤沢、六日町、山梨学院大付、韮山、
京都成章、尼崎北、田辺、宮島工、倉吉東、観音寺中央、日田、日南学園。
この大会は大会前あまり初出場校が多いという話題にはならなかったような気
がする。夏初出場とはいえすでに選抜で実績をあげているチームが多かったから
ではないか。韮山=選抜優勝、観音寺中央=この年の選抜優勝。尼崎北=選抜
ベスト8、日南学園=この年の選抜ベスト8、など夏の甲子園初出場が意外に
思うチームもある。1993年(平成5年)第75回は初出場15校。このとき
のほうが初出場校が多かったという印象が強い。15校は青森山田、久慈商、
桐生第一、市船橋、不二越工、東濃実、近江兄弟社、松江第一(現開星)、
光、東福岡、鳥栖商、長崎日大、城北、小林西、浦添商。
この大会で5強といわれた(朝日新聞)東北、常総学院、享栄、近大付、
鹿児島商工の内、ベスト8まで残ったのは常総学院のみ。今年の大会も93年
と同様かなりの激戦になりそうだ。
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