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選抜で早慶戦なるか。

東京六大学野球の歴史はプロ野球の歴史よりも古い。その大学野球の先駆者と
して名を馳せた早稲田大学と慶應義塾大学。神宮の杜にて数々の名勝負を繰り
広げてきた伝統の早慶戦が今春の選抜甲子園で実現するかもしれない。
早稲田実と慶応、いずれも前評判は高く、しかも同一都道府県ではない。
選抜での直接対決も十分考えられるだろう。
ところでこの両校、慶応が夏の神奈川県大会で惜しくも決勝で敗れた
1995年(平成7年)の翌年、1996年(平成8年)から毎年6月に
交流戦を行っているという。戦績はほぼ互角らしいが、このところは慶応が
押し気味。
早実の主戦・小野田俊介投手はあの斎藤佑樹投手(早大2年)の活躍に刺激され
北海道旭川市から入学。あこがれの斎藤投手から投球に関する貴重なアドバイス
を受けたという。
一方・慶応の白村明弘投手は2年前の対戦でKOを喫した。リベンジに燃える
エースは選抜でいきなりの初戦対決を望んでいる。

今年の選抜も実力校、話題性豊富で盛り上がりそうである。
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涙の敬遠策

1988年(昭和63年)東京六大学野球秋季リーグ戦(神宮)
慶大
101 100 000 =3
210 000 10X =4
早大
【慶】大原、小桧山、井上●、石田
【早】市島、小宮山○
10月30日の早慶戦で早稲田大が慶応大を4-3で降し雪辱、1勝1敗のタイ
とした。試合は序盤点の取り合い、その後なかなか両校点を奪えず3-3で
むかえた7回裏に早大が満塁から4番・相田のヒットで勝ち越し、これが
決勝点となった。投手陣はエース・小宮山(芝浦工大柏・3年)が見事な
ロングリリーフで慶大の反撃を抑えた。その小宮山、9回二死二塁のピンチ
で、春季三冠王を獲得した強打者の大森を迎えたときに突然感極まって涙。
これに驚いて内野陣、ベンチからも石井監督が飛びだす騒ぎとなった。
涙の訳は?「(自ら敬遠を決めるも)勝負したいが、敗れれば今年1度も慶大
に勝てずに4年生を送り出すことになる・・」
土壇場のピンチで一塁は空いていてしかも強打者を迎えれば敬遠は妥当な策
ではあるが、エースのプライドという葛藤があったのだろう。
結果、大森は敬遠、後続を断った早大が勝利をおさめた。「涙の敬遠策は功を
奏しチームは勝利をおさめた」なんともいい話ではないか、と思うのだが、
「早大も軟弱になった」と外野からは思いのほか厳しい声。

1958年第13回の国体決勝

大会終了後の番外試合の投稿、1958年(昭和33年)第13回の国体硬式
野球決勝の続き―
第13回国体硬式野球決勝は作新学院と高松商の対戦となり、作新学院が勝った
が、国体閉会後に行われた試合ということで、作新学院は公式記録として単独
優勝という扱いにして良いのかどうか。毎日新聞にもう少し詳しく書かれていた。
同紙によれば雨により順延され決勝戦はオープン戦になったとある。なので
この決勝は公式記録扱いはされていないということで間違いなさそうだ。
この国体高校野球硬式は連日満員の盛況で観客は三万余りを集めたというから
すごい人気だったというのが伺える。もともと人気競技ではあるが、とりわけ甲子園
を沸かせた選手たちが集客に貢献したようだ。徳島商・板東投手、魚津・村椿投手、
柳井・友歳投手、済々黌・城戸投手、作新学院・大島投手、高松・石川投手など
夏の甲子園に続き好投手が多く登場したこの国体は甲子園のような緊張感も
見られず、のびのびとプレーできたこともあり、球児たちも多いに楽しんだようだ。
また大会前に高野連がプロ入団の噂高い選手を調査し、その選手を自発的に
出場させない(強制というほどでもなかったようだが)という措置もとられた。
これにより高知商のエース・森光投手は試合に出ていない。
プロ選手獲得の自由競争時代、国体の季節ともなれば、プロ注目選手は各球団
が獲得に向け既に水面下のやりとりが行われているはずだが、プロ関係者の介入を
防ぎ、アマチュア精神に徹した運営を目指す高野連の粋な計らいだったと言えるの
ではないだろうか。

選抜草創期の選考

戦前、選抜草創期の時代は現在のように出場校を決める際に重要な資料となる
秋の地区大会が全国各地では行われてはいなかった。各地の毎日新聞社支局
および通信部によりそれぞれ候補校が選出され、この中から本社詮衡(選考)
委員により選抜出場校が選ばれるという過程だったようだ。

1928年(昭和3年)第5回の選抜選考経過を大阪毎日新聞で調べてみた。
当時は近畿圏を中心とした招待試合という色合いが濃かったので、各地の
候補校を選出ということになってはいるが、かなり近畿、西日本に偏った選考と
なっている。2月7日、まず支局、通信部から本社に報告された学校を元に候補校
を挙げる。

松本商
愛知商、愛知一中、豊橋中
平安中
(大阪の諸校)
関西学院中、甲陽中、第一神港商、姫路師範、神戸一中、神戸二中
和歌山中
広陵中
米子中、鳥取一中
島根商
下関商、柳井中、徳山中
高松商、高松中、志度商
松山商、北予中、今治中
九州学院中
佐伯中
鹿児島商

なお東京、横浜の学校はこの大会の期間中に東京横浜のリーグ戦が行われる
ことが既に決まっていたので、参加不可能として選考対象には加わらなかった。

まず前年優勝の優先権により和歌山中が最初に当選した。続いて当選したのが、
鹿児島商、下関商、柳井中、広陵中、松山商、甲陽中、関西学院中、高松商、
大阪の一校(大阪中等学校連盟に推薦を委託、選考は難航した結果、市岡中の
当選となった)。
これで10校。岩手の福岡中(※)も当選。これで11校。残り5校。
続く候補は愛知一中、愛知商、高松中、島根商、米子中、北予中、静岡中(※)。
ほとんど実力伯仲のため地域性を考慮した。これにより愛知商が当選し愛知一中
が圏外へ。島根商が最終選考に残り米子中が圏外。高松中、島根商、北予中、
静岡中の4校を選考委員19名が各2校を投票した。結果、島根商16票、
高松中12票、静岡中6票、北予中が4票となった(この投票結果が出た時点で
北予中を除く島根商、高松商、静岡中の3校の当選が決まったと思われる)。
その後に福岡中が(選抜出場可能かどうかを確かめたところ)練習不足を理由に
選抜出場を辞退したため、日を改めて2月27日、再び選考委員会を開催。
ここで(おそらく)松本商、平安中の2校が決定し16校が出揃った。
※最初の候補校の中に福岡中と静岡中の名前は入っていないが、地域性を考慮
して候補校に付け足されたものと思われる。

松本商
静岡中
愛知商
平安中
市岡中
甲陽中
関西学院中
和歌山中
島根商
広陵中
柳井中
下関商
高松中
高松商
松山商
鹿児島商


現在の選抜参考資料である秋の大会のような、結果や(スコア・打率・防御率
などの)数字という明確な参考資料に乏しいため、各学校の実力を測るのは
難しく、選考には相当な紆余曲折があったものと思われる。

やはり大昔の記事だけに断定するのは難しく、推測に頼らざるを得ない
部分もあった。
東京、横浜の学校が選抜と同時期にリーグ戦を予定したり、出場権を得た
福岡中が出場を辞退するなど、まだこの時点では球児たちにとってあくまで
目標は夏の甲子園であり、春選抜はそれほど大きな目標ではなかったのだろう
ということが推測される。
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