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埋もれた打撃記録

1942年(昭和17)年夏に行われた”幻の甲子園”は文部省主催であった
ために、夏の甲子園公式記録としては認められていない。
なのでこの大会で優勝した徳島商の優勝記録はもちろん夏の甲子園優勝には
数えられていない。
この大会の記録が正式記録として認められていれば、徳島商や準優勝した
平安中に負けず劣らずのインパクトの強い打撃記録が現在もなお続いて
いることになる。
準々決勝の広島商と仙台一中の試合では28-10という凄まじい打撃戦となった。
もしこの大会が正式記録であればPL学園29-7東海大山形の合計36点をも
上回る。

仙台一中
003 002 320 =10
300 301 174X =28
広島商
【仙】小泉―鈴木
【広】沢村、土屋、沢村―小川

試合は途中までシーソーゲームだったが、7回、広島商の打線が疲れの
見えた仙台一中・小泉投手に襲い掛かる。この回7安打9四球に相手の失策5
も加えなんと17得点を記録した。

この試合で塗り替えられた打撃記録 すべて広島商の7回時のもの
(一)無死で(つまり1つのアウトを取られるまでに)上げた10得点
(二)1イニング17得点
(三)1イニング打順二回りと4人の合計22人の攻撃
(四)1イニング個人3得点(山縣選手)

それ以外にも両チーム合計45の与四死球(広島商27、仙台一中18)がある。
守備が堅く試合運びのうまい広島商としては珍しく雑な試合である。それでも
この荒れた試合の中、無失策というのがさすがだ。また19安打で27得点を
マークするなど効率良い攻めもあった。
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駅頭にて優勝旗授与

審判も人間であるからもちろん間違いもある。特に大変だと思うのは、どちら
ともとれる判定だ。ストライク・ボール、フェア・ファール、この判定ひとつ
で試合の局面は大きく変わる。だから微妙な判定はどうしても両者をすっきり
納得させるのは難しくなる。
微妙な判定の影響により、決勝戦の終了後、優勝校に球場内で優勝旗を渡すこと
ができずに彼らが地元へ帰郷する際、駅頭にて優勝旗授与したという珍事
もある。
1954年(昭和29年)夏の甲子園予選・東中国大会の決勝、甲子園を
賭けた大一番は米子東VS関西の対決となった。
米子東・義原投手と関西・安富投手の両投手の好投で試合は両チーム無得点の
まま進み0-0のまま延長へ。義原は左腕独自の内角への速球、一方の安富は
変化球をうまく使い相手打者を抑えた。
迎えた延長10回。米子東は無死から二塁打でチャンスを掴み、一死後、
大原選手の左翼線へのタイムリーヒットによりサヨナラ勝ちし、熱戦に
終止符を打った。
▽東中国大会決勝(岡山)
関西
0000000000 =0
0000000001 =1
米子東
【関】安富
【米】義原
本来なら当然、球場内で優勝旗授与、閉会式が行われるものだが、サヨナラ打
に対して関西高側がファールではないかと抗議、地元ファンもこれに同調して怒り
出し、スタンド内になだれこむ騒ぎとなってしまった。その後沈静化したが、結局
その場で優勝した米子東に優勝旗を渡すことはできず、翌日彼らが帰郷する際に
優勝旗を駅頭(どこの駅かは不明だが、おそらく米子東の地元鳥取県内だろう)
で授与したというものだ。
この騒ぎはそもそも関西高の地元、岡山での試合でなければ起こらなかった
はずである。ホームゲームというのは地元チームにとっては応援してくれる
ファンが多いから心強いが、一方でこういう弊害もあったわけだ。

ファンの騒乱を誘発するような態度が関西高側にあったという判断から、
日本学生野球協会は関西に来年の8月いっぱいまで対外試合出場禁止という
非常に厳しい処分を下した。さらには岡山県主催の県内試合も3ヶ月間禁止
(この年いっぱい)というこれまた厳しい処分。

それにしてもこの取り決めを行った日本学生野球協会審査委員会のメンバー
はそうそうたる顔ぶれだ。
K氏(元慶大塾長)
K氏(元明大総長)
S氏(立大総長)
T氏(元横浜高商校長)
K氏(元鉄道次官)
T氏(球界先輩)
なお、S氏(前早大総長)は欠席とのこと。

史上最高得点

2003年(平成15年)第34回明治神宮大会の準決勝で史上最高得点の
新記録が生まれた。樹立したのは大阪桐蔭でなんと36得点。KKコンビの
PL学園をもしのぐ凄まじい得点記録だ。さらにはチーム最多42安打のオマケ
つき。個人記録もすごい。まず6番・山地大輔選手がサイクルヒット達成。
生島、橋本の1、2番コンビはともに7安打。2人で14安打と信じられない
数字。更に1年生の期待の4番・平田も特大アーチを放つなど、全国でも屈指の
打撃力は選抜では注目の的だ。大差でも決して手を緩めない集中力もかつて
のPL学園を思い出させる。
この大阪桐蔭は奈良県のトップクラス選手を筆頭に関西の屈指の選手たちが
大半を占める。
この関西オールスター選手たちは低迷中の大阪の高校野球界において非常に
頼もしい存在だ。
大阪桐蔭
180 279 324=36
003 020 000=5
鵡川
【大】菊川、山本将、楠本、山地―三国
【鵡】成田、宮田、藤生、野手、福田、宮田―安田、伊藤、亀田

・・大阪桐蔭は続く決勝の愛工大名電との試合では惜しくも敗れている。
大型チームというのは派手な試合をする一方、競り合いにどうも弱い。
負けるときは結構あっけないものである。

スター対決実現へ

江川「最後の神宮」原と対決へ。
1977年(昭和52年)第8回明治神宮野球大会は11月5日、大学、高校
の部ともに準決勝が行われ、大学は東海大VS法大、高校が東北VS高知商の
優勝争いとなった。
大学の部、準決勝では東海大(関東)が駒大(東都大学)を9-7で、法大(東京
六大学)が札幌大(東北、北海道)を3-0でやぶりそれぞれ決勝進出を果たした。
駒大
400 110 001 =7
000 061 20X =9
東海大
【駒】渡辺、長島、中後、尾藤
【東】林良、遠藤一
大量6点リードされて迎えた5回の東海大の攻撃はヒット、ヒットに四球も
交え、まるでフリーバッティングのように打ち込んだ。
すさまじい反撃によりあっという間に同点に追いついた。勢いあまった東海大
打線は6回に勝ち越し、7回にはトップバッター上原のランニング2ランで
勝負を決めた。この打線の大爆発に東海大・原監督も笑いがとまらなかった。
法大
000 010 020 =3
000 000 000 =0
札幌大
【法】鎗田
【札】伊藤、森
法大は初回から援護した札幌大の森をなかなか打てずにピリピリムード。
6安打に抑えられたものの、効率のよい攻めで3点。法大の先発・鎗田は
相手を散発6安打に抑えて見事完封。法大にとっては先取点を奪うのが
遅れたということもあり、点差以上に厳しい試合だったようだ。

これで大学の部、決勝は東海大VS法大になったわけだが、決勝では法大は
一日休んだ江川投手が登板する。一方の東海大は前年、東海大相模で甲子園
を沸かせたばかりの原選手がいる(2番・サード)。
こうして11月6日、神宮の森で最後の登板、4年間着た「HOSEI」の
ユニホームをぬぎ、ドラフト指名を待つことになる江川と、甲子園の星・原
という2人のスターの対決が行われることになった。
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